むらかみ内科クリニック

院長ブログ

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  • 朝から看取りでした

    朝診察が始まる前に訪問診療先の老人ホームから電話があり、私の見ている患者さんが冷たくなっているとのこと。老人ホームは城南だったので、大急ぎで高速に乗って駆けつけました。全く苦しむことなく、寝ている間になくなっていました。いつも診察するときと同じように布団に横たわっており、その表情はなんとも静かで穏やかなものでした。97歳大往生です。死亡確認をしたら、自然と手を合わせていました。まさに仏様になっておられました。死亡診断書を作成したら、とんぼ返りで高速に乗ってクリニックに戻りました。朝の診療は20分ほど遅れてスタートしましたが、幸いこの寒波で朝早い時間の患者さんは少なく、助かりました。

    このように、病院と違って在宅の最期は本当に自然で穏やかです。私は病院での経験が長いので、最期は大変だという印象が強いですが、もともと生まれるときも死ぬときも自然なものだったはずです。昭和の時代、老人医療が無料でどれだけ無制限に医療行為をしても保険で切られることがなかった時代があります。当時は、病院が儲けようと思えば、最期の最期で心電図、強心剤の点滴、人工呼吸、電気ショック、心臓マッサージとフルコースにして最期の1日にかかる医療費が100万を超えることもざらにありました。家族もそれを望んでいたため、医療者側もしないわけに行かない雰囲気がありました。平成の半ば過ぎ頃からはそういう無駄な医療行為(虐待のような救命処置)はしない流れになってきました。今は昔のお話です。

    最近読んだ本の話をしたいと思います。お金を稼いでお金が入ると人は喜びますが、そのお金が出ていくとき悲しんでいませんか。お金は入ってきても出ていかなければ何の価値もありません。支払った時に対価として物やサービスを受けられます。従って、お金が入ってくるときと出ていくときは同じように喜ばないといけません。同じことがこの世とあの世の間にもあります。人が生まれてきたときはみんな喜びますが、亡くなったときは悲しみます。しかし、実際はお金と同じで魂があの世からこの世に来て、そして帰っていくだけのこと。そう考えると、人がなくなった時にそれほど悲しまなくていい、というお話です。まるでお坊さんの講話のようなお話でした。

    久木野 四季の森