訪問看護指示書や介護保険の主治医意見書などの書類によく書く言葉に、「見守りが必要」というのがあります。何か手を出すわけではないけど、問題なく生活できているか、薬の飲み間違いはないか、歩行時に転倒の危険はないかなどを「見守る」ということです。黙って見守るのは時間がかかるし危なっかしいので、実際には見守るよりは手を出した方がずっと早いのですが、じっと我慢して見守ります。24時間手をかすことはできないので、いかに安全に自立してもらうかが大切だからです。
この「見守り」が下手なのは、成長を妨げますから害ばかりです。手伝った人の自己満足でしかありません。しかし、私は、毎朝この自己満足にしかならない余計なお節介を目にします。それは、高校の先生による交通整理です。クリニックの目の前には高校があるので、毎朝信号のない交差点に先生が立って自転車に「止まれ」「はい、急いで渡って」と指示を出します。相手は小学生でなく立派な高校生です。あと2年もすれば社会に出て行くのに、自立を促していない姿を見ると、残念で仕方ありません。
先生は、交差点に立ったとしても黙って見ていればいいのです。危ない行動をする生徒がいた時だけ注意すれば済むことです。また、先生が立っているせいで生徒さんたちは左右を見ることもなくバンバン交差点を横切ります。左右を見て安全を確認してから渡るという基本すら教えていないことになります。生徒指導も患者さんの介護も自分で安全にできるように「見守る」ことがいかに大切なことか、もう一度考えたいものです。
自宅のクレマチス。すでに15年くらい毎年この時期に花を咲かせてくれます。